神保町建物めぐり

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戦災から生き残った街

神保町界隈にはまだ昭和初期の建物が残っている。30年近く前、神保町で働き始めた頃は、裏通りには木造2階建て、3階建ての建物が結構残っていた。 その後、少しずつ少しずつ建て替えられ、さすがに木造建築は少なくなってきた。平成23年(2011年)の東日本大震災以降は、消滅のスピードが加速したように思う。
神保町という町は、江戸時代には旗本の屋敷などが並んでいたのだろうが、明治以降は、学生街や古書店街として有名になった街である。東京の街は、大正12年(1923年)の関東大震災と昭和20年(1945年)の空襲で2回壊滅的な被害を受けているので、それ以前の古い建物は珍しい。ただし、空襲による被害にはムラがあって、東京でもところどころ焼け残った地域があり、神保町もそうした焼け残った地域の一つである。

 

昭和初期の建物が残る

  現在、神保町周辺に残っている、あるいは最近まで残っていた古い建物は、昭和初期の震災復興期に建てられ、戦災を免れたものが多い。最近、取り壊されてしまった九段下ビルや研数学館もこの時期の建築であった。どちらも昭和初期に流行したスクラッチタイルが特徴的だった。この地域でスクラッチタイルを使った有名建築では、もう一つ学士会館がある。豪華な内装に戦後の建築にはない風格を感じることができる。1階にはレストランなども入っているので、近くまで来たら是非見学してほしい。

出桁づくりの商家も

  店舗や住宅など、もう少し庶民的な建物では、弊社の近くに出桁(だしけた)づくりの商家建築が一軒残っている。昔は神保町あたりでも裏長屋などあって、たくさん人が住んでいたのだろうかと想像してみる。昔はスズラン通りにも正面を銅板で覆ったいわゆる看板建築の店舗が何軒かあったと思うが、いつの間にかなくなってしまった。神保町からほど近い神田や本郷も焼け残った地域があり、街歩きエリアとして人気である。